自分の嘘にめぐり合う | ランボーの駄文

自分の嘘にめぐり合う

久しぶりの更新で死とか重いタイトルやけど、一昨日親戚のおじさんがなくなりました。


血のつながりは、そこまで濃くない間柄やったけど、涙が出ました。


どうして今回この話をするか。それはお葬式の中で、ちょっと心に留まった事があったからです。


ちょっとここからの話は、宗教的な話になるので、気分を害した方はごめんなさい。


わが家系は浄土真宗。南無阿弥陀仏を唱えれば、、、、、、ってやつです。


お経の最後に、お坊さんの説教ってやつがあります。それがものすごく好きです。


まー話の内容は、お坊さんや、その時々の状況によって違うんやけど、お坊さんの話し方には、どこか自分のあらぶったかんがえと、心にあいた穴をふさいでくれるような感じがします。


こんな風に言っていますが、僕は無宗教です。


その説教の中での一説。


自分の嘘にめぐり合う


これはちょっと!?ってかんじでした。


人生で、自分という人間は、たくさんの嘘に出会っている。


この嘘というのは、人がついたものではなく、自分がついたもの。


そのお坊さんは、たくさんのお葬式で、大切な方をなくした人に出会う。僕らも同じ。


かわいそうだなぁとかお経を上げたり、お悔やみを言ったりするけれども、どれだけ遺族の方のように心を痛めても、ほんとうにはその人たちの気持ちにはなれない。


という嘘がある。


しかし、その嘘に出会ることは、これもまた仏さんのお導き云々。


べつにたいした話ではなかったが、なんか考えさせられた。


久しぶりの更新で、なんか文がかけない!←まーもともとやけど。


今日はこの辺で